タケゴリ2

2008 07 04

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今日からタケゴリ(父)(その前に前回のタケゴリを読む)と歳の近い北九州に住むお姉さんと、姪っ子にあたるけどタケゴリとは兄妹のようなお姉さんがタケゴリとマーチャン(母)を心配してはるばる九州からで来てくれた。。。。。。。。


おばちゃんもお姉さんもタケゴリの性格を心配して気持ちとはウラハラな言動をしてしまいがちになること。気持ちがあせってばかりで空回りしてしまうこと、タケゴリが書いた手紙の筆跡を見る限り、タケゴリの気持ちがヤバメなことを察し、色々話してくれた。身内ってほんとありがたい。シゲコおばちゃんもひで子姉ちゃんもありがとう。やっぱり家族。とても感謝するよ。
昔タケゴリが38歳か39歳の時、ガンになって、チーちゃん(姉)も私も小学生で、その頃はまだ今で言う「告知」というのがあまり主流でなかったので、マーチャンはひたすらタケゴリに隠していた。タケゴリはとても気が弱い。大きな事を言うけど気が弱い。だからひたすらその事実を隠していた。
タケゴリは何も知らず、マーチャンに自分が入院しているお茶の水にある某大学病院まで「毎日来い」と言ってた。えらそうに。マーチャンは私たち小さい子供もいるし、家の事もあるけど、家からお茶の水まで定期を買って毎日通っていた。タケゴリはキョーレツにワガママなのでマーチャンがウッカリタケゴリに所に遅れていくと「遅いじゃんか」的なワガママを言ったり、自分がガンなのに全然知らないのでフッツーにいつものめんどくせえタケゴリだったと思う。それでもマーチャンはいつものおもしれえ事を言って明るくタケゴリを盛り上げていたであろう。
それから間もなく、九州からタケゴリのお姉さんとタケゴリの伯父さんが、タケゴリの当時の主治医の先生から病状を聴くために東京へ来た。マーチャン、伯父さん、おばちゃんの3人でタケゴリがガンであること、右の腎臓を全摘すること、今後の転移について、可能性などなど話されたと思う。話しが終わってから伯父さんは「今すぐタケシにどんな顔して会っていいかわからない」、などと言って病院の周りをみんなで散歩したそうだ。いろいろグルグルしてしまったんだろう。
マーチャンはかなり早い段階からタケゴリがガンだと分かっていたと思うけど気の弱いタケゴリにバレたら大変な事になるとひたすら隠した。タケゴリの親戚は九州にいるので心配かけまいとその日まで隠していた。マーチャンの自分の親にもその当時高齢だったので言うとビックリしてしまうからと誰にも言えなかった。私達も小さいしタケゴリの身に何が起こっているか全然わからない。いま思い返してもマーチャンは普段と変わらず明るくテキパキしたナイスな母親なので何の心配もしてなかったし、タケゴリがガンだったのを私達2人が知ったのは高校生になってからだ。
誰にも言えなくて不安でいっぱいだっただろうに。家でもメソメソ出来ない。この先も不安でいっぱい。どうしたものかね、と思うなか、同じ気持ちの仲間がやっと2人増えた日。タケゴリのお姉さん、伯父さんを羽田へ送る途中に、タケゴリのお姉さんが「本当に大変だろうけど頑張って行こうね」的なひと言をマーチャンに言ったとたん、マーチャンは堰を切ったように、一目を憚らずワンワン泣いたそうだ。ワンサカわんさか人が居る東京でワンワンとワンワンと泣いたそうだ。誰にも言えず辛かっただろうに。明るくしてたけど、ひとりで怖かっただろうに。
そんな話を、あの時忘れられないよって、詳細に振り返りながらおばちゃんがしたから、私たちもまたワンワン泣いてしまった。タケゴリを救ったのはマーチャンで、タケゴリはそれがわかっているので今マーチャンに対して何も出来ないのがとても辛いのだ、というのをおばちゃんが代弁してくれた。やっぱり毎日ワンワン泣いちゃうけど、だけど泣くと疲れルベ。笑。マーチャンはきっと応えてくれルよ。私もたくさん唄うよ。たくさんウクレレひくよ。きっとまた唄ってくれるよ。エステティシャンに負けないように上級のマッサージを明日もするよ。もうしばらくしたら「アンタ達うるさいんだけど、静かにしてよ(笑)」ってきっと言うよ。ダイジョウブ大丈夫。必ずダイジョウブ。みんなで頑張っていくべ。もうすぐ七夕だから奇跡の序章がはじまるべ!ファイト!
今日の食事はゆったりと美味しいところでとてもいい時間だった。タケゴリがとても楽しそうでチーちゃんも私もとても嬉しかった。
アップしたのはマーチャンの友達の足利に住む美術部仲間の由美チャンが送ってくれた今も変わらず玄関に飾ってあるという造形物。高校時代にマーチャンが作ったものだそう。由美チャン、サンクス。この顔がなんともマーチャンっぽい。笑。ガンバレ マーチャン&タケゴリ!ではまた明日!