春はもうすぐ

2009 03 06

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こないだ雪が降ったけど、今日はチョーあったかかったな。だからトータル的に春はもうすぐ。いろいろウキウキするのだ。。。。。。。。。。


なんだかわかんないけど、気のせい、かもしれないけど、4月からなんとなくスタートなんだよね。気分的にも非常にいい。春には何か、そいういう風にさせる何かが、きっとあるんだ。四季って不思議だ。
さてこないだもポッチャリーズしてしまったオレについて書いたけど、今日は某サロンで集中的にマッサージを受けてきた。これがキョーレツにスゴかった。そしてセジュツしてくれて担当の方はキョーレツに上手だった。終わった頃には 足の太さがなんとそれぞれ 1.7cm 細くなっていた。どんだけむくんでんだって感じだけど。笑。とにかくそういうことに気付かされたいい日でした。笑。
音楽を生業にしていこうと決めてスタートした日から、ワタシは元旦に一応「本年の目標」を掲げていた。そして、その年の12月31日、大晦日には元旦に立てた目標について達成できているか、出来ていないか、達成出来なかったとしたら何割くらいか、そのなかで良い事と良くない事、などを、お風呂に入っている間に地味に考えてることにしていた。毎年、毎年。マジメか!笑。結局反省する、っていうよりもその一年間の「オレ、リナリナ」を自分自身で讃えて、オツカレ感をお風呂で洗い流し、リフレッシュするってことなんだけど、笑。つーか、どんだけ地味か!笑。だけど、いま考えるとそれはとっても良い事だったの。
ここ3年くらいはなんとなくそういうことを辞めていた。なんだかわかんないけど、そういうことを掲げないで流れに任せてみようと思った。だけど、それでいい部分もあったし、よくない部分もあった。ワタシは言い訳するのが嫌だ。言い訳する人もあまり好きではない。「だって・・・・なんだもーん」みたいなのは一番嫌なんだ。そしてなんだかわかんないけど、結局わたしはまた今年の元旦に本年の目標を立ててみた。それも各分野にわけて、いろいろと細かく立ててみた。
目標があっても無くても別にいいけど、あったほうがいい。そのほうが何かしら「組み立てやすい」し、「軸がよく見える」わけ。「・・・でいいんじゃね?」っていうユルーイ感じも「軸」があってこそ。ずべてにおいて「・・・・いいんじゃね?」では全く意味を成さない。目標があれば、いまやること、その先の段階と、最終的な形がイメージしやすい。だから最初は誰の意見をも借りずにまずは自分自身で目標を立てる事がワッカリヤッスクて初歩的でスッゴイいいんだ。もちろん迷ったりしたら相談するし意見を参考としてまた考えてみる。とにかく目標を立てるのは、とってもいいのだ。なんかわかんない人もたくさんいると思うし、何を目標にしていいかわかんない人もいると思うけど、まずは「夏マデに2キロ痩せる」とか「使わない電気のスイッチの切る」とかでもいいし「カリカリしない」とか「朝起きたらベットメイキングする」とか「お菓子は一日ひとつだけにする」とかなんでもいいけど目標を立ててトライしてみるべし。きっといいことがあるはずだ。
つーことで in HOS にいるmy mom も春の新しい目標が出来た。「ヤマザキ春のパン祭り」みたいに母の目標が達成できれば何か母にプレゼントしようと思う。その前に彼女にポイントカードをつくってあげよう。毎日シールをはるのだ。10ポイントたまったら白いお皿を母にプレゼントするべ。笑。「ああ、リナ、それはいらないわ」ってカンペキに思われるな。笑。とにかく達成出来るか出来ないかわかんないけど大事なことはそこに向うこと、「その過程」が一番大事なんだけどね。だけどワタシは彼女ならきっと達成できると思う。
「過程が大事」と言っても、『達成できてこそ』「その過程」が生きてくる。その『大事な目標が達成出来る日』は、「地味な過程」があってこそだ。「地味な過程」とは何気ない毎日のあつまり。トリッキーなサクセスなんて無く、イキナリ達成できることなんてなく、イキナリあったら逆に怖い。「何気ない毎日」を『目標』に向かって時に休みながらも、なんとなくとも「進めて」いかないと。だから、『達成できてこそ』初めて「その過程」が生きてくるわけだと。「何気ない毎日」は『大事なこと』のいいプロヂューサーなのだ。(P)なのだ。
大事なことは全部、ただ何気ない毎日に全部つまっているんだ。
全部ぜんぶ、ひとつなんだってことなんだよ。
がんばろっ
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TOPイラスト:
椿 by 母 (2000.4.6 スケッチブックより)