めっきり寒くなってきましたね。。。。。。。
台風がCome Again する秋。皆さんはいかがお過ごしでしょうか?ついこの間の台風で被害に遭われた方にはお見舞い申し上げます。
さてここ最近の私ですが、9月の終りに恒例の帝京病院コンサートがありました。今回はレレレのこどものクラスも参加してとても楽しかったです。ライブはいろんなパターンがあるのでこういうコンサートの感じもとてもやりがいや意味を感じます。
帝京病院でのライブレポートはこちら(テキストは帝京病院スタッフの方々)
そして先日、誠にプライベートではございますが私たちの身内だけの小さなパーティがありました。
5月に籍を入れた私ですが、先日小さな小さな親戚だけの宴を催しました。
私の母親は数年前から重度の障害があり身体も自分で動かす事は出来ませんし、お話をすることも出来ません。食事も口から通すことができません。表情でしか汲み取ることができないそんなような状態でもう6年になります。
倒れた当初はたくさんの機械につながれ、たくさんのモニターに監視され、何も言っても反応はありませんでした。ダランとした死んだような身体に家族で必死で話かけた月日がありました。私もミュージシャンですので病室にウクレレを持ち込み母親が好きだった曲を演奏したり唄ったり、反応はないですが一方的に勝手に話かける、そんな毎日でした。次第に目があき、焦点も少しづつ定まり、人口呼吸器が外れましたが、どんな医師もこれからも良くなる事は無いし変わらないということでした。どうせ死んでしまうなら家に持って帰りたいと家族で相談して実家のほうで皆で協力して母親を看る生活が始まりました。
それまで自分の仕事、特にレコーディングやツアーなどの自分だけの為に自分の時間を費やして来た私に、この出来事でいろんな事が変わって行きました。一度仕事はストップしましたが小さなウクレレスクールをスタートし、次第にライブも少しづつやっていくようになりました。今年新譜を発表し、書籍も発表させていただきました。どのお仕事もおかげさまで好評です。この6年、本当にいろんなことがありましたがどれも自分を成長させてくれた日々だったと思います。
パーティは母親の体力の負担にならないように地元で開催し、倒れてからどこにも行けない母親にいつもとは違う感じを感じてほしかったし、目で楽しむ事しか出来ない母親に楽しんでもらいたかったので衣装も打ち掛けを着ました。母親が若い頃に来ていたかわいい振り袖を仕立て直しました。
マイクを回して親戚一人一人が各自自己紹介し、私たちに向けて一言もらったりと、終始穏やかな小さなパーティでしたが最後の最後で花束を母親に渡した時に泣けちゃって何にも言葉をかけられなかったです。
どんな風に感じていたのか、どんな風に思っていたのか、話したいことはたくさんあるけど、母親の事は表情にて感じることでしか、理解できません。
それでも楽しんでくれたと思っています。この日に母親の為にいろいろケアしてくださった方々に感謝いたします。
おかあさん、ありがとうね。